なぜ死装束は「左前」なの?逆さ事(さかさごと)の意味と理由を解説
大切な方を見送る際、故人様に白装束を着せる場面で「着せ方は左前にしてくださいね」という言葉を耳にすることがあります。普段、私たちが浴衣や着物を着る時は「右前(自分から見て右側が手前)」にするのがマナーですが、お葬式の場ではあえてその反対にするのが日本の伝統的な作法です。
なぜ、亡くなった方の衣装はあえて逆にするのでしょうか?そこには、古くから日本に伝わる「逆さ事(さかさごと)」という独特の死生観と、故人様への深い想いが込められています。
この記事では、左前にする理由や逆さ事の意味、そして現代の納棺の儀式で知っておきたいマナーについて詳しく解説します。
1. 「左前」にする最大の理由は「逆さ事」
葬儀の場では、日常生活とはあらゆることを「逆」に行う習慣があります。これを**「逆さ事(さかさごと)」**と呼びます。
逆さ事とは何か
逆さ事とは、この世(現世)とあの世(来世)を区別するための知恵です。「生者の世界とは反対のことをすることで、死を日常から切り離す」という意味があります。
生者の世界:右前で着る
死者の世界:左前で着る
このように明確な違いを作ることで、故人様が迷わずあの世へ向かえるようにし、同時に生者の世界に死が入り込まないようにという「境界線」を引く役割を担っています。
貴人とされる「左上位」の考え方
また、古代中国の思想に由来する「左上位(左側の方が位が高い)」という考え方も影響しています。高貴な人は左前に着る習慣があったことから、亡くなった方を仏様のように尊い存在として扱い、敬意を表するために左前にするという説もあります。
2. 他にもある!葬儀で行われる「逆さ事」の例
左前以外にも、葬儀の準備では多くの「逆さ」が存在します。これらもすべて、故人様を送り出すための大切な儀礼です。
逆さ水(さかさみず)
ご遺体を拭き清める際(湯灌)に、お湯の温度を調整する方法です。通常は「熱いお湯に水を足して」適温にしますが、逆さ事では**「水に熱いお湯を足して」**温度を調整します。
逆さ屏風(さかさびょうぶ)
枕元に立てる屏風を、上下逆さまに置く習慣です。
逆さ枕(さかさまくら)
通常、北向きに寝かせる「北枕」も、日常の安眠の方角とは異なる(釈迦が入滅した時の方角)ため、一種の逆さ事と捉えられることがあります。
逆さ足袋(さかさたび)
足袋を左右逆にはかせたり、草履の左右を逆に置いたりすることもあります。
3. 「左前」の正しい着せ方と注意点
いざ納棺の際に「左前」にすると言われても、どちらが上になるのか混乱してしまう方も多いでしょう。
具体的な合わせ方
「左前」とは、故人様から見て左側の生地(身頃)を、右側の生地の上に重ねる状態を指します。
間違えやすいポイント:自分(着せる側)から見て左側を上にするのではありません。あくまで、**「故人様の左手が、懐(ふところ)にスッと入る状態」**が左前です。
洋服(スーツやドレス)の場合はどうする?
現代では、生前愛用していた洋服を着せて送り出すことも一般的です。
ボタンのある洋服:元々のデザイン(男性用・女性用)のまま着せて問題ありません。洋服を無理に左右逆に合わせる必要はないとされています。
和服・着物:私服であっても、和服の場合は伝統に則って「左前」に合わせるのが一般的です。
4. 現代における「逆さ事」の捉え方
近年では、こうした「逆さ事」をあまり厳格に行わないケースも増えてきました。
葬儀社への相談
「迷信のように感じて抵抗がある」「故人様を普段通りの姿で送り出したい」というご遺族の意向がある場合、無理にすべての逆さ事を行う必要はありません。葬儀社や納棺師は、ご遺族の気持ちに寄り添いながら最適な形を提案してくれます。
仏教以外の宗派では?
キリスト教や神道など、宗派によっては「逆さ事」という概念自体がない場合もあります。その場合は、その宗教の教えに基づいた身支度を整えます。
5. まとめ:左前は「無事な旅立ち」を願う心の形
死装束を左前に合わせる習慣は、単なる古いしきたりではなく、故人様をこの世の苦しみから解き放ち、新しい世界へ送り出すための慈しみの心から生まれたものです。
「逆さ」にすることで、私たちは死という大きな現実を受け入れ、故人様との別れに区切りをつけてきました。こうした意味を知ることで、一つひとつの所作に込められた祈りを感じることができるのではないでしょうか。
納棺の儀式で迷ったときは、ぜひ納棺師のアドバイスを受けながら、心を込めてお手伝いをして差し上げてください。その丁寧な手仕事こそが、最高の供養になるはずです。